栃の実菓子の店 菓子の梅安
日本の美しい四季を彩る山形・城下町鶴岡には、昔から伝わるお菓子の伝統や技術が
時を越えた今でも息づいております。
今に伝える鶴岡の菓子文化を皆様にお届けします。
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「天保義民」に由来する銘菓 きつねめん
  江戸幕府は天保11 (1840)年、庄内藩酒井家を長岡に、長岡藩牧野家を川越に、川越藩松平家を庄内に移すという「三方国替え」の幕命を下した。これに対し、庄内藩の農民らは酒井家の転封に強固に反対し庄内の随所で連日大集会を開いたり、幕閣や諸大名に対して直訴嘆願などをしました。長年にわたる藩農政の努力に対する感謝の気持ちと、善政をしく庄内藩という行政機構を失いたくないという農民たちの考えで、「百姓といえども二君に仕えず」と阻止運動を展開。幕命を覆し、転封を免れた。これを天保義民事件といいます。
  藩主が「居成り」になったという慶事に、城下の菓子屋が領民に頼まれ、「居成り」を「稲荷」に置き換えて稲荷神社のシンボルであるキツネの面を模った小豆の打ち菓子を作り藩主に献上したのが、銘菓「きつねめん」の始まりとされています。
  今も鶴岡の各菓子店は、城下町に伝わるめでたい菓子として小豆の打ち菓子を作り続け、伝統銘菓として販売しております。
江戸時代から伝わる駄菓子 からから煎餅
  江戸時代の元禄期に大黒煎餅となる三角形の形をした食玩菓子が売り出されました。中に木像の大黒様を紙に包んで折りいれて売り出したところ、これが当たると福の神が舞い込むという事で大変な売れゆきをみせたといいます。この煎餅は手にも持って振るとガラガラ音がすることからガラガラ煎餅とも言われました。以後、さまざまな玩具が入ると共に日本中に広がっていきました。
  ここ鶴岡にも江戸で煎餅の製造方法を学んだ者によって伝えられ、「カラカラ煎餅」として名を変え一般庶民に売られました。特に年末のだるま祭りで売り出されたカラカラ煎餅は、おみくじと一緒に恵比須様や大黒様等が入れられ、来年の運勢と縁起物が入った福徳せんべいとして売られました。
  明治以降、お菓子の嗜好が変わり全国のあちこちで姿を消しましたが、鶴岡では今でも伝統駄菓子として作られ続け、地域の人たちに親しまれています。